日章丸事件と日本・イランの絆:外交で果たすべき役割
同盟が重要といえど、
先制攻撃をした米国には一言もいさめることなく、
攻撃された側にのみ沈静化を要求することは、
日本として本当に正しい対応なんでしょうか。
我が国とイランは、歴史的に見ても長い交流の歴史があります。
先進国の中でも、日本は重要なパイプ役となり得ます。
戦後、海外の石油会社が暴利をむさぼる中、
出光興産の創業者、出光佐三さんは、
載貨重量1万8000点の、はっさん、8000トンのタンカー、日章丸を建造しました。
イギリスからの不当な支配を受けていたイランは、それに反発し、
独立の象徴として石油事業の国有化を宣言。
対してイギリスは、ペルシャ湾に艦隊を送って海上を封鎖し、
イランが石油の輸出をできないように対抗措置を取りました。
イランは石油を買ってほしいという要請を各国に送りますが、
戦勝国であるイギリスが関わっていることから、
どの国も、どの会社もそれに応えませんでした。
ところが、イギリスのこのやり方に憤った出光佐三さんは、
イランに日章丸を向かわせました。
イラン経済が干上がる寸前に、日章丸はイギリスの包囲網をかいくぐり、
イランに到着。ガソリンと軽油を大量に買い付けました。
当時、イラン国民は日章丸を大歓迎で迎えたそうです。
敗戦で自信を失っていた日本国民も、
戦勝国イギリスを敵に回してのこの出来事に、強く勇気づけられたそうです。
またイランも、日本のこの勇敢な行動に終始感謝を忘れなかったといいます。
近年であれば、イランのアラグチ外相は、
かつて駐日本の、駐日本イラン大使であられました。
震災の中で各国大使が日本を離れる中、
日本に残り続けて炊き出しのボランティアを行ってくださったということも、
広く知られております。
アラグチ外相は当時、「困った時に助けられるのが本当の友人だ」と、
その後の取材に応じておられました。
こうして日本と独自の歴史を築いてきた我が国が、
現在の世界情勢において果たすべき役割は大きいと思われます。
しかし残念ながら、外交安全保障をテーマとした集中審議は、
一度も開かれませんでした。
立法府として、混迷を極める世界情勢の中で、
日本の舵取りをどう進めていくのかと、
本来であればもっと充実した審議が必要だったと思います。
これも審議時間が足りない理由です。
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